『自転車が変えた人生』
今回は今から42年前、20歳の時に自信の無い自分を見つめなおすため、宮崎県日南市から自転車で日本一周を敢行し、帰還後は地元の商工会議所に勤め、地域活動や自転車の楽しさを伝える活動を積極的にしてこられた日南市サイクリング協会理事長、上村(かみむら)育俊さんをご紹介いたします。
そして42年の時を経て彼の新たなる挑戦も紹介したいと思います。今回はその前編…
【プロローグ】
高校を卒業したものの、定職にも就かずおぼろげに『駅長になりたい』と思っていた上村青年は数ヶ月のニート生活を経て、紹介でとある自動車メーカーに勤め始めました。仕事や同僚達との夜遊びはそれなりに楽しかったものの、彼の中では“違和感”というか“焦燥感”のようなものがどんどん膨らみ続けたようです。
そして二十歳を迎え彼は一つの冒険を企てます。それが『自転車日本一周』でした。その年、昭和47年というと故田中角栄氏が『日本列島改造論』を発表し、日本が更なる高度成長に向け盛り上がる兆しを見せていて年です。そのさなか悶々とした悩みで自分を持て余していた上村青年が書き上げた一枚の計画書が下の写真です。
B5サイズ1枚に書かれたこの計画書、いたってシンプルですが、それだけにこの若者の情熱がストレートに伝わります。そして特筆すべきはほぼこの計画書どおりに彼が冒険を成し遂げたことです。
それがそのあとの彼の人生にどれほど影響を与えたか想像するに難くありません。それではこの旅にまつわるエピソードを幾つか紹介したいと思います。
【駅長に憧れた青年、駅で寝る】
限られた予算での旅、ましてや若い男性の一人旅ということで寝泊りは当然野宿です。今は管理面の問題で難しくなりましたが、当時は待合室で寝袋を広げ寝られたようです。しかし時には見知らぬ方に声をかけられ、寝床や食事を提供してもらったとか。寝るところがある、食べるものがあるという事のありがたさが身に沁みました。
【短パンサンダル赤じゅうたん】
下の写真の格好で上村青年はどこへでも行きます。東京ではこの格好で国会議事堂に足を踏み入れ、私も見せて頂きましたが国会議員の方々に寄せ書きを貰い、さらには餞別までいただいてくるという、なかなかの積極性はこの旅で開花したのかもしれません。【見失わないように】計画書の予算案に『100,000円途中でアルバイトをする』とありますが、上村青年は結局この道中アルバイトはせず旅に専念しました。ご飯も満足に食べられない中、目先の満腹を得るために行動してしまった場合、もしかしたら当初の計画を反故にしてしまうかも知れない、本来の目的を見失ってしまう危険性があると判断したからでした。食べ盛りで食パン二斤食べてもまだ食べられるという食欲の塊のような若者が下した冷静かつ賢明な判断だったと思います。
【寸止めの美学】
食欲もそうですが、異性への関心、ましてや今まで見たこともない土地でのロマンスには、憧れが伴い心高ぶるのではと思い質問してみました。しかしやはり上村青年はこの件でも自分を制御しえたようです。インタビューの中でも時折感じた現在の紳士な態度は付焼刃などではなく恐らく若い頃から変わらない自制心が結晶化したもののような気がします。
【青い鳥と居場所】
上村青年が日本一周を終え地元に戻った際、盛大なお迎えがあったそうです。自分ではまったくたいしたことをしたという意識はなかったのに周囲の皆さんの温かいねぎらいは本当に嬉しかったと彼は振り返ります。これは憶測ですが、メーテルリンクの「青い鳥」のように、上村青年の自問自答の旅の答えは「おかえり」と言ってくれたゴール地点である地元にあったような気がしてなりません。この後上村さんは地域活動や自転車の素晴らしさを伝える活動に懸命にあたられ、先年日南商工会議所を無事定年退職、そして40年以上の歴史をかぞえる日南市サイクリング協会では今尚理事長を務め後進の指導に精力的にあたられています。そして昨年から今度は奥様と『ボチボチ行く日本列島自転車旅』を敢行なさっているとの事。これはRecordBook宮崎としては目が離せません。
<後編へ続く>